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 第5章 親友

「今日は遅かったわね~」

 
住まいの近くにある定食屋「松也」で親友の美智子と合流した。

 

「松也」は3年ほど前に駅の裏路地にオープンした、元漁師のご主人が営むお店で、かずみも美智子も開店当初から通っている。

 

 

いつも新鮮な魚介がそろっていて、特に度々メニューに加えられる〔おすすめ!旬の魚定食〕がどの季節もほっぺが落ちるほど美味しく仕上がっている。

 

夜10時まで営業しているのも、独身者にはありがたい。

 

かずみと美智子は週に3日はここで合流し、食事をしている。

 
「大将!旬の魚定食、お願いしますー!」
かずみはコートを脱ぎながら席に座った。

 

「うちの会社、来年から新卒採用を増やす方針なんだけど、その新人研修を任されちゃってね。いわゆる教育係ってやつ。でいろいろ調べてたら少し遅くなっちゃった。」

 

「お疲れ様~。気が付けば、かずみももう立派な先輩なんだね。
新人研修ってたいへんそうね~。わたしは中途だから、初日に配属部署の先輩がついてくれて、社内の各部署あいさつ回りと、日常業務の説明してくれて、ハイ!スタート!って感じだったわ。

 

 

その後は日々聞きながら覚えてきたけど、新卒の場合は、社内研修と社外研修やってから、ようやく業務開始みたい。」「わたしも今年から新人さんサポートする様に言われてるから、業務のあれこれは教えてるけど、あいさつとかマナーとか最低限のことは研修で覚えてきてくれているから、何にも言うことなし!なにしろ若さっていいわよね!アハハハハ」

 

美智子の前には焼酎のボトルが置いてあり、既に晩酌タイムが始まっていたようだった。

 

「社外研修・・・Off-JTかぁ・・・」

 

「うん、それそれ!、私も一度受けてみたいわぁ、アハハハハ」

 

美智子は3年前に大手広告会社を退職し、中小の製作会社に転職した。いくらか給料は減ってしまったようだが、今の方が断然のびのびしているように見える。

 

幼い時から発想力が豊だった美智子は、中学校の学習発表会の演劇台本を書き上げたことがった。つるとかめのお話を面白く描き、最終的に感動する物語だった。

 

同じクラスだったかずみは、美智子からの希望でそのナレーション役を務めた。

 

放課後に皆で発表の成功を喜んでいた時と、同じ笑顔をした美智子がここにいる。
かずみはお茶を一口飲むと、なんだか今日の疲れから解放されたような気持ちになった。

 

「はい、お待ち!おすすめ定食だよ。本日はカレイの煮つけ―!」

第4章 調べる

 

自分のデスクに戻るやいなや、〔新人教育 研修・・・〕

 

パソコンに打ち込み、新人教育とは何ぞや、を調べ始めた。

 

「ふむふむ、新人教育のやり方はたくさんあるんだな」

 

「社内の先輩が教えるのはOJTで、社外の研修などはOff-JTって言うのか・・・」

 

 

パソコンに向かってぶつぶつ独り言をいっていると、隣の席の後輩の優子ちゃんがマスカラのフサフサした目を向けて聞いてきた。

 

「かずみさん一人でなにしゃべってるんですか?」

 

「うん。ちょっとね。いま常務から、来年の新卒入社のOJTを担当するように言われたから、まず新人教育関連のことを調べてるの」

 

「えー!新人教育って大変そうですね、ただでさえかずみさんみんなからいつも、あれこれ質問されているのにー!あっ!私もその一人ですけどぉ!確かにかずみさんがいなかったら、いま私何にも出来ていないかも!」

 

「あまり、頑張りすぎないでくださいね。手伝えることあったら言ってくださいね」

 

「でも、今日はこれから合コンなのでお先に失礼しまーす!」

 

「おつかれさまでーす」

 

優子ちゃんはお茶目で愛嬌があり、かずみにとっては妹みたいな存在だ。

 

忙しかったりで、社内がピリピリしている時はちょうどいい感じで和ませてくれている。

 

「はい、お疲れさまー」

 

 

かずみはそれからしばらくパソコンとにらめっこを続け、会社を出るころには、時計の針がいつもより一時間ほど遅い時刻を指していた。

第3章 めぐりめぐる

 

たしかに、思い返してみると、私はなぜか周りから親しみを持ってもらいやすいタイプのようだった。
今まで、友人関係や先輩後輩にも恵まれており、和気あいあいとした人間関係を築いてきたように思う。多感な学生時代にも目立ったトラブルに巻き込まれることもなく過ごしてきた。

 

 

部活動は卓球部で、後輩に基本的な技術指導をすることもあったが、ダブルスは例外として、手取り足取り教えるという作業は特になかった。

 

 

学級委員や何かのリーダーになった経験もなく、せいぜいクラスで班分けがあったときに、1度か2度、その班の班長になった経験があるくらいで、

 

班長の役割はなんだったか・・・と思い返そうとしても、思い出せない程度のことだ。

 

 

多少何か指導する役目を経験してくるべきだった。

 

 

わからないことや不得意なことは自然と誰かが補ってくれていたし、なんとなくここまで来れてしまった・・・

 

 

苦労は買ってでもしろって、こういうときのためか・・・

 

 

だらだらといろんな思いが頭の周りをメリーゴーランドのように、ぐるぐる回っていた。

 

 

その回想メリーゴーランドが2回転目に差しかかろうとしていた瞬間、

 

 

かずみは、はっと我に返った。

 

 

こんなことをしている時間はないわ!

 

 

まずは社員教育ってどんなものか調べなきゃ!!

 

第4章へ続く・・・

第2章 教育係、がんばります!

かずみは今日に至るまで「OJT」と言う言葉を耳にしたことはあるものの、自分とは関係のない事だと思っていたため、常務の話は唐突に聞こえていた。

 

この30分間、息継ぎ以外は休みなく動き続けている常務の口元を見ながら、この件でこれから自分が何をすべきなのかを冷静に考えてみた。

 

① 来年は新卒入社がたくさんくるから、OJT(教育係)として自覚を持ってしっかり働く人間が必要

② OJT(教育係)は各部署1人づつ、総務部からは私であり

③ OJTの研修は外部の機関に行く。

④ 来年新入社員が来たときに、しっかり新人教育が出来るようになっていればいいのね!

 

(うん。こうやって考えてみるとそれほど重々しく考えなくて大丈夫かな)

 

常務の話の要点を確認したかずみは、もうある程度、心の準備が出来た。

 

その時、タイミングを計ったかのように常務の言葉があった

 

「まぁ、そういうことで、黒田さん、教育係お願いできるかしら?」

 

と意思確認。

 

 

「はい、わかりました。」

 

思わず、すんなり答えてしまった。

 

しかし、まるで自信があることを率先して引き受けるような、簡潔な返事をしている自分に気づき、急いでもうひとつ言葉を付け加えた。

 

「今まで新人教育なんて考えたこともなかったので、まずはしっかりOJTの勉強をしてきます」

 

「良かったわ。もちろん、これから頑張って新人教育の勉強をしてもらって、立派な教育係として成長してちょうだいね。期待しているわ!」

 

「あとで日程詳細をメール配信するからきちんと確認するように、お願いね。」

 

「では、よろしくー」

 

常務はひと仕事終えたかのような表情を見せながら、いそいそと会議室を出ていった・・・

 

第3章へ続く・・・

第1章 「私がOJT研修に!?」

黒田かずみ 28歳。

株式会社 和のはな 総務部で働くOL

会社は東京(本社)と福岡(九州支社)に拠点を置く、
総務部・管理部・営業部からなる従業員合わせて22名の和製用品雑貨を扱う問屋である。

かずみが在籍する総務部は、人事や経理も含め、日常の様々な業務を行っており、あれこれ幅広い仕事を任されている。

現在6年目のキャリアを築いているかずみは、まだ役職こそないものの、まじめに丁寧に仕事をこなして気さくな性格でもあるため、他の社員からの信頼が厚く、頼りにされる存在であった。

ある日、常務から呼び出され、こんな話を持ち掛けられた。

「来年から、うちの会社も新卒を率先して採用し、会社の規模を拡大してく方向性なのは知ってるわよね。

そこでこれからは、新人さんたちにうちの会社をよく理解してもらうところから、体系化させた新人研修を・・・って話になってね。

もちろん今まで通り、先輩社員たちに日常業務の指導をしてもらうのだけど、中途採用とはわけが違うから、基本的なビジネスマナーから指導しなければならない。

今までみたいに、背中を見て覚えなさいってやり方だと、若い子はみんな辞めてしまうしね・・・
だから、今までとはやり方を変えていかなくちゃならないって思うの。

うちの会社は今までずいぶん保守的で社員も身内が多いし、中途の経験者ばかり雇ってきているでしょ。
新卒も少人数ながら採用してきたけど、みんな育たなくってやめて行っちゃったじゃない、新卒から頑張ってくれているのは、今では黒田さんと、2年前に入社した優子ちゃんだけ。

だけど、若いフレッシュな空気を取り入れていかないと時代についていけない。
この先、生き残っていけないと思うのよ。
いずれは海外出店も視野に入れているし、もっと新人教育を徹底して、どこに出しても恥ずかしくない社員を磨き上げていかなきゃならないわ。

それで、新人教育がきちんとできる、優秀な教育係が必要になってきてね。

来月、各部署の先輩社員1名ずつ、外部のOJT研修を受けてもらうことにしたの。

あ、OJTってわかるわよね?社内の教育係のことね。

黒田さんはうちでは貴重な新卒からの社員だし、日々の業務を丁寧にこなしてくれていて、同僚や、先輩後輩からも慕われているから適役だと思うの。

OJT研修、総務部からは黒田さんが行って!」

「あの・・・」

かずみは口を開こうとしたが、常務の話はまだ続いていた。

「営業部からはトップの成績上げて頑張ってくれている、松島くんにお願いしようという話だったんだけど、彼はなんていうか、気に入ってくれるお得意様とそうでない取引先の差が激しいじゃない・・・ついさっきも、アポなしで来るのはやめてくれって、クレームの電話がきていたし・・・
勢いがあっていいとは思うんだけれど、今の時代からしたらちょっと古臭いやり方かもしれないわね。お行儀いいタイプではないから、教育係りには向いていないと判断して、
今回は佐々木くんに行ってもらうことにしたわ。
佐々木くんは大人しすぎて成績は良くないけど、頭のいい子でマナーもしっかりしているじゃない?
営業はもうちょっと頑張ってもらわなくちゃ困るけど。」

「彼はね、4年前の社員募集で、社長が最後まで採用するかどうかを悩んでいてね、それで有名大学出身だし、経歴も悪くないから、こういう人材はきっと貢献してくれるはずだからと、わたしが社長を説得して採用に至ったのよ。
だから、何とか伸びてもらいたくてね、OJT研修は彼自身の成長にもなると思うのよ。

売上成績トップの松島くんの手を止めるのも心苦しいしね。

あと、管理部からは、圭子ちゃんに行ってもらおうと思っているわ。

我ながら、いい人選だと思っているのよ」

かずみはもう既に、常務の話を30分ほど聞き続けていた。
その時間に比例するくらいに、常務が求めているその、「教育係」というものの責任の重さがひしひしと伝わってくるのだった。

                       第2章へ続く・・・